大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和44年(ネ)221号 判決 1970年9月17日

控訴人

日本軽金属株式会社

代理人

根本松男

外二名

被控訴人

品川尚志

代理人

宮里邦雄

外七名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一、控訴人が軽金属類の精錬及びこれらの金属を原料とする製品の製造販売を目的とする株式会社であること、被控訴人は東京大学法学部在学中である昭和四一年七月控訴人の昭和四二年四月入社予定の新入社員採用試験に合格し、昭和四二年四月一日見習社員として入社し、他の学卒新入社員とともに本社勤労部人事課(同年六月一六日組織改正により人事部人事課となる)勤務となり、東京、清水、蒲原、新潟等において講義受講、工場実習、工場見学、レポート作成等の新入社員教育を同年六月三〇日まで受けたが、被控訴人だけは同年七月一日以降本社人事部人事課人事係に配属されていたものであること、控訴人は同年九月二日被控訴人に対し口頭で同月三〇日付をもつて解雇する旨の意思表示をしたこと及び被控訴人の右解雇当時の平均賃金は一ケ月金三万二、三一〇円であり、毎月二五日に支給されていたが、控訴人は被控訴人に対し昭和四二年一〇月以降の賃金を支払つていないことは当事者間に争がない。

二、次に(1)見習社員の地位の特殊性(就業規則第一四条の学卒新入社員への適用の有無及び見習期間制度の機能)、(2)見習社員に採用する旨の契約の性質及び(3)見習社員に対する解約権行使の範囲の制限についての当裁判所の判示はそれぞれ原判決理由二の1乃至3において説示するところと同一であるからこれを引用する(但し、原判決一九枚目裏一行目から二行目にかけて「成立に争いのない疎乙第三号証の一、二によれば」とあるのを「成立に争のない疎乙第一号証、第三号証の一、二及び原審における被控訴人本人尋問の結果によれば」に、同二一枚目裏一行目から二行目にかけて(編注、本誌二三二号三〇〇頁二段目一五行目)及び同二六枚目裏七行目(編注、同三〇一頁三段目末尾から五行目)の「基本的労働能力」とあるのを「基本的労働態様」に、同二二枚目表八行目(編注、同三〇〇頁三段目九・一〇行目)の「その結果が役員会にかけられ、その決定に基いて」とあるのを「その結果」に、同二三枚目裏六行目の「前掲疎乙第三号証」とあるのを「前掲疎乙第二号証」にそれぞれ訂正する)。

三、解雇理由たる被控訴人の言動

次に控訴人の主張する被控訴人の不適格事由について判断する。

1、昭和四二年四月七日古河グループの企業が組織する団体である古河三水会が同系企業二五社の新入社員合同歓迎会を新宿駅西口の朝日生命ホールで開催したこと、右歓迎会は午前九時三〇分開始の予定であり、グループ各社の新入社員が入場着席を完了すべき時刻は午前九時二〇分とされていたこと及び控訴人は見習社員全員に対し当日は午前九時に会場一階玄関前に集合するよう話し、被控訴人は幹事(被控訴人の氏名は学卒見習社員名簿の筆頭に記載されていたので、会社の慣行により幹事に指名されていた)として午前八時五〇分までに同所に行くように命ぜられていたが、被控訴人は当日右集合時刻に遅れたことは当事者間に争がない(<証拠>によれば、被控訴人が到着した時刻は午前九時二〇分頃ではないかと考えられる)。

2、控訴人が見習社員に対する講義教育終了を機に昭和四二年四月一三日見習社員全員に対してレポートを作成提出するよう命じ、被控訴人等見習社員がこれを提出したことは当事者間に争がない。被控訴人が提出した右レポートであることに争のない疎乙第五号証によれば、右レポートは横罫で長さ約二一センチメートルの罫が三三行ある用紙に一行おきに約四枚分書かれたものであり、<証拠>によれば、このレポート作成には一時間半位の時間を与え、略字を使つてはならないというような注意は一切していないことがそれぞれ認められる。

ところで控訴人は被控訴人が提出したレポートには他の見習社員のそれに比較して誤字、脱字、当て字がきわめて多かつた旨主張し、<証拠>によれば、会社が右レポート中誤字と考えるものにチェックしたことが認められるので、先ず右チェックしたものにつき会社が誤字と考えたものがいかなるものであるかを調べてみると、明かに字を誤つたものがかなりあり(例えば「対処」とすべきところを「対拠」とし、「抗争」を「攻争」、「描く」を「抽く」、「推す」を「押す」とするなど)、綴りの不正確なもの(例えば「顔」を「顔」、「段」を「」、「上」を「エ」とするなど)、極端な略字を用いたもの(例えば「経済」を「済」、「事業」を「事」、「生産」を「生」とするなど)その他字のくずし方が多少おかしいものもある。なお控訴人は「色」「我」「多」「組」「頭」「段」「感」「現」「意」「違」などを特に挙げて誤つていると主張するが、「多」「頭」の字は右レポート中にはなく、その他の字の中にも「色」「我」など誤つていない字もあり、また右に述べた程度以上にとりたてて誤つているとまではいえないものもある。更に控訴人が指摘する誤字の中には「日」の字の縦の棒が一寸長過ぎて「月」となつたり「今」を「」としたためチェックされたものもあつて、控訴人のチェックの仕方は必ずしも公平なものとはいえない。以上の事情を総合して考えると、前述の明かな誤字は別として、その他のものについては、厳密には誤字といえるものがあるにしても、主としては被控訴人の書きぐせ(書体の癖)によるものであり、しかも急いで書かなければならない場合には右の程度のことは通常犯しやすいことであつて、多少乱暴な書き方であるとはいえても、これを誤字としてとりあげ社員としての適格性を云々する資料にすべき程のものではない。まして被控訴人の場合には、前記引用にかかる原判決の認定のように、入社の際には筆記試験を受けており、会社においても被控訴人がこのような書き方をする者であること位は既に承知の上で採用したものと考えられる。しかも<証拠>によれば、直接の教育担当の責任者である人事係長深沢嘉信は勿論、その他の教育係員は被控訴人に対し右誤字、略字等について右レポート提出後教育はもとよりその指摘すらしていないことが認められるが、右誤字、略字等についてこれを指摘し注意を与えれば容易に矯正しうることは経験則上明かである。なお控訴人は被控訴人の提出したレポートは他の見習社員のそれに比較して誤字、脱字等がきわめて多かつたと主張するが、他の見習社員のレポートとの比較の資料を提出しないので、右主張は採用の限りでない。

3、昭和四二年五月二〇日本社人事係長深沢嘉信が蒲原工場において実習中の被控訴人を含む見習社員の実習状況を視察し、見習社員に対し同日の実習教育終了後同人等の宿泊所である同工場独身寮で懇談会を開催する旨通知していたが、当日の見習社員に対する実習教育は午後三時始業、午後一〇時三〇分終業とする勤務時間に行われていたので、懇談会の開催時刻は午後一〇時五〇分頃とされていたことは当事者間に争がない。

控訴人は被控訴人が右懇談会開催直前の午後一〇時四五分頃右深沢に対し「こんなに遅く呼びやがつて、酒でも出さなければ袋だたきにしてやる。」との暴言を吐いた旨主張する。原審証人深沢嘉信は原審において、主尋問に対しては、まだ配膳が済まずビールなど出ていない段階で、被控訴人が来て、深沢に対し「こんなに遅く呼んで酒でも出さなかつたら袋だたきにするぞ。」といつたという趣旨のことを答えているが、反対尋問に対しては、「こんなに遅く呼んで酒でも出なかつたら袋だたきだな。」といつたと答え、更には「袋だたきにするぞ。」といつたが、「袋だたきだな。」といつたかはつきりしないが、どちらにしてもそういう場所柄をわきまえないきわめて不遜な発言をしたと答えている。しかしながら「袋だたきにするぞ。」という言葉と袋だたきだな。」という言葉とではそのニュアンスが大いに異り、その「袋だたきだな。」という発言までをも不遜な発言であると簡単にいいうる関係にはないのみならず、右深沢の証言によれば、深沢と他の三名の見習社員とが雑談をしていてきわめてなごやかな雰囲気のところに、被控訴人が入つて来て、坐つた直後に低い声で発言をし、しかも被控訴人は特に怒つている様子もなかつたというのであつて、そのような場所の雰囲気や被控訴人の態度からすれば、被控訴人が「袋だたきにするぞ。」と発言したとすればそれはきわめて不自然であり、また右深沢の証言によれば、深沢は右の三名の見習社員と話をしていて、被控訴人が低い声で発言をした際には被控訴人の方を見ていなかつたというのであるから、深沢が被控訴人の発言の始めから終りまでを正確に聞取つていたかどうかも怪しいところである。また右深沢の証言によれば、被控訴人が深沢に対して「袋だたきにするぞ。」という発言をしたので、一瞬その場の空気が気まずくなつて、被控訴人は一旦会場の外へ出て改めて会場に入り、深沢から最も遠い会場の入口のそばの席に坐り直したというのであるが、<証拠>によれば、開催時刻を大分過ぎても他の見習社員がなかなか集合せず、深沢が「皆何をしているんだ。早く集まるようにいつてきて欲しい。」と誰にともなくいつたので、被控訴人は会場を出て風呂場や見習社員の宿泊所の各部屋を廻つて、皆を呼集めて会場に戻つたが、その時には大半の者が集合して、会場の奥の方から順次つめて着席していたので、空いている会場の入口近くの席に坐つたというのであつて、これによれば被控訴人の挙動に不自然な点は感じられず、これと右深沢の証言とを対比して考えると、右深沢の証言は直ちに信用できないものといわなければならない。以上の点を考えると最初に挙げた深沢の証言はたやすく措信し難いものというべきであり、また当審証人深沢嘉信の証言もたやすく措信し難く、他に控訴人の右主張を認めるに足りる疎明はない。かえつて前掲疎甲第二号証及び原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、当日午後一〇時五〇分をやや過ぎた頃会場に到着した被控訴人は、並べられたビールを前にして、右深沢に対し「やつぱりビールが出ましたね。今日何も出なかつたら袋だたきだとか、ふとんむしだとかいう話まであつたんですよ。」という趣旨のことを話したことが認められ、この点において被控訴人には責められるべき点は全くないものというべきである。

4、会社の見習社員に対する工場実習教育は六月一五日をもつて終了し、同月一六日以降は再び本社において「実習後教育」を行うことになつており、見習社員に交付していた日程表によれば、同月一六日は見習社員が各工場において体得した実習に対する感想を発表し、人事課員と意見を交換する予定になつていた。ところが人事課は当日昭和四三年度技術系学卒社員の採用試験等のため繁忙をきわめていたので、右感想発表会の予定を変更してそれに代るレポートを提出させることとし、同日午前九時二〇分頃人事課員が見習社員にその旨を伝えるとともにレポート用紙を配付した。ところがこの日程変更に不満であつた見習社員から「レポートは工場でも書いたからもう書きたくない。」とか、「会社にいつて取止めてもらおう。」などの声が起り、幹事であつた被控訴人は見習社員から推されて新潟工場実習班にいた上田とともに(この点は原審における被控訴人本人尋問の結果によつて認定する)会社に対してレポートの作成中止を折衝する立場に立ち、同日午前一〇時一〇分頃人事課員永山あき子を通じ、採用試験を行つていた人事課員鈴木練一に対し、「見習社員の意向としてはレポートは既に各工場で書いてきたので書きたくない。」旨電話したところ、右鈴木は右永山を通して被控訴人に対し、「とにかく命じたのであるからレポートを書くように、それでも書けない人はそれだけの器だから仕方がない。」との趣旨の指示をした。そして結局見習社員全員がレポートを提出しなかつた。以上の事実は当事者間に争がない。

<証拠>によれば、被控訴人等は一方においてレポートの作成を憶劫に思つていたことはあつたが、他方予定されていた感想発表会に非常な期待を持ち、人事課員が多忙のため感想発表会の席に立会わなくても、見習社員のうち記録作成者を予め定めておいて、自分達同士で互いに経験を語り、意見感想を述べ合つて、その記録を控訴人に提出するならば感想発表会の目的は十分に達成しうると考えていたので、被控訴人は右永山を通じて右鈴木の指示を受けるや、右のような被控訴人等の計画と真意を担当者に知つてもらいたいとの気持から、再び永山に対し担当者と直接話させてくれるように頼み、永山にもう一度その旨電話してもらつたが、鈴木は「とにかくレポートを書くように。一度事情を説明し命じたことだから撤回しない。非常に多忙なので品川君の話は聞いていられないし、聞く必要もない。」と答えて電話を切つてしまつたことが認められ、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。

控訴人は被控訴人が他の見習社員に対しあたかも会社が先の業務命令を撤回したかのような印象を与える伝達をした旨主張する。この点について原審証人浦上哲吾は原審において、「最初被控訴人と上田が人事課へ交渉に行つて帰つてきて、書けないやつは仕方がないから書かなくてもいいというようなことを会社がいつていたとの報告が上田からあり、それでは内容がはつきりしないのでもう一度確めに行かないかといつて、被控訴人一人かそれとも上田も一緒に行つたのかはつきりしないが、とにかくもう一度確めに行き、今度は被控訴人から書いても書かなくてもいいという報告を受けた。そして最初の報告では書けという命令は続いているとの印象だつたが、後の報告では書いても書かなくてもいいと命令が変更されたという印象だつた。」という趣旨の供述をしている。しかしながら原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人と上田が人事課にレポート作成の命令の取止め方につき交渉に行つたのは一回だけであつて、被控訴人が最初上田のした報告の確認のために再度人事課に行つた事実はないことが認められ、また原審証人深沢嘉信の証言によれば、見習社員全員がレポートを提出しなかつたので、当日の午後四時三〇分頃見習社員が深沢より叱責を受けた際、浦上哲吾が自ら手を挙げて謝罪し、また大学院を出た者数名が指名されてレポートを作成しなかつたことにつき意見をきかれ、「学生気分が抜け切らないという甘えと実習が終つたという解放感からこのようなことをしてしまつて申訳ない。」旨こもごも述べて謝罪したというのである。もし被控訴人が浦上証人の供述の如く見習社員に対し「会社はレポートを書いても書かなくてもいいといつている。」と伝え、レポート作成の命令が変更されたかの如く報告したのだとすれば、右のように一言のことわりもいわず謝罪するというのは理解し難いことであるし、また被控訴人が他の見習社員から報告を誤つたことについて文句をいわれるとか非難の声が出るのが当然と考えられるにもかかわらず、<証拠>によれば、当日においてもまたその後においてもそのようなことは一切なかつたことが認められるから、前記浦上証人の証言はそのまま信用することはできないものというべきであり、また当審証人深沢嘉信の証言はたやすく措信し難く、他に控訴人の主張を認めるに足りる疎明はない。かえつて原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、右鈴木との電話が終つてから上田が先に戻つて交渉の結果を報告している最中に、被控訴人が戻つてきて他の見習社員に対し、「会社は一度出した命令だから変えることはできない。そんなに書きたくないやつがいるのなら書かなくてもいい。」と永山から伝え聞いたことを伝えたが、上田は被控訴人の報告が間違つているといつて訂正しなかつたこと、上田や被控訴人の報告を聞いて見習社員から「それじや皆でレポートを出さないように決めちやえ。」という声も出たが、暫く議論の末レポートを書くか書かないかは各自の責任において決めるということになり、結局全員がレポートを提出しなかつたことが認められるのであつて、これと前掲原審証人深沢嘉信の証言によつて認められる、大学院を出た者数名が深沢から指名されて、レポートを作成しなかつたことにつき意見をきかれ、「学生気分が抜け切らないという甘えと実習が終つたという解放感からこのようなことをしてしまつて申訳ない。」とこもごも述べて謝罪した事実その他被控訴人が見習社員から推されてレポート作成の命令の中止方につき会社と折衝するに至つた前記経緯等を併せ考えると、被控訴人は永山から伝え聞いたことをそのまま見習社員に伝えたが、見習社員はレポートは既に各工場で書いているのでまた書くのは憶劫であるという気持の上に学生気分がまた抜け切つていないことや実習が終つたという解放感あるいは群衆心理というものが作用して、レポートの作成をそれ程重大なこととは考えなかつたため、結局見習社員全員がレポートを提出しなかつたものと推認するのが相当である。そうだとすれば命令伝達の点において被控訴人には何等責むべき点はなかつたものというべく、原審証人小田切隆及び当審証人川手一郎の各証言中右に反する点は措信できない。従つて命令伝達を誤つたとの点を被控訴人の不適格事由とすることはできない。

また同日午後四時三〇分頃深沢係長が見習社員全員に対してレポートを提出しなかつたことを叱責したところ、皆遺憾の意を表したことは当事者間に争がない。

控訴人は被控訴人が右叱責に対し「命令が出された場合、命令を受ける側が納得した後実行した方がよい。またそうした命令に従う必要はない。」と述べた旨主張する。そして原審及び当審証人深沢嘉信は原審及び当審において、「被控訴人は納得できないことは行えないという趣旨の質問をした。」と供述し、また原審証人浦上哲吾は原審において、「上司の命令に対して納得しない場合でも従う必要があるのかという質問をした。」と供述していること、並びに被控訴人等見習社員のレポート提出拒否に関する前段認定の事実、殊に被控訴人が幹事として見習社員に推されて人事課に見習社員等の計画並びに真意を伝え、感想発表会を予定どおり持ちたい旨の了解を求めに行つた際、人事課員が被控訴人に意見を述べる機会すら与えなかつたこと、レポート提出拒否の行為は期せずして見習社員全員が一致して行つたものであること等の事実を総合すると、被控訴人は右叱責を受けた時点において深沢係長等の同日の行為を不親切なものと感じたこと並びに前記予定変更について納得し難い気持を持つていたことを推認しうるから、被控訴人が右叱責に対し「命令が出された場合、命令を受ける側が納得した後実行した方がよい。」との趣旨程度の発言をしたことはこれを認定しうるけれども、「そうした命令に従う必要はない。」とまでいつたことを認めるに足りる疎明はない。もつとも右発言について原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果中には、被控訴人は右深沢から叱責を受け、他の見習社員が遺憾の意を表した後に、「今日こういう形でレポートを書かなかつたことはよくないことだと思うし、明日宿題として提出することに異存はない。しかし一般的にいつて上司が仕事を与える場合に、それを受ける側の意見を聞き、十分納得させた上で仕事をさせた方がよいし、会社もその機会を与える方向でやつていつたらいいのではないか。」という旨の質問をしたにすぎないとの供述があるが、<証拠>に照らしてたやすく措信し難く、むしろ前段認定の事実の下では被控訴人が右の如き丁重な発言をしたとは考えられず、多少反発的態度に出たものと推認するのが相当である。疎乙第六号証にも右被控訴人本人尋問の結果と符合する記載があるが、右同様の理由で措信し難い。以上認定の事実によれば、深沢係長が見習社員全員に対しレポー卜不提出を叱責し、全員遺憾の意を表した際、被控訴人はひとり多少反発的に「命令が出された場合、命令を受けた者が納得した後実行した方がよい。」との趣旨の発言をしたものというべきところ、前段認定の事情の下で全員の代表を務めるものとしては、何人がその地位に立つてもこの程度の言動に出ないとは保証し難く、この一事をもつて被控訴人の全人格を評価批判するのは酷に失するものというべきであり、従つて被控訴人の右言動をもつて解雇事由とすることは解雇権行使の範囲を逸脱するものといわなければならない。

5  会社が見習社員に東海金属株式会社本社工場を見学させるため、見習社員に対し六月二九日午前九時一五分に京浜東北線東神奈川駅に集合することを命じ、被控訴人がこれに少くとも二五分位遅刻したことは当事者間に争がない。

<証拠>によれば、当日午前九時二〇分頃から見学を開始する予定でその旨東海金属にも連絡してあつたが、被控訴人が遅れたため、人事課員高橋孝明はやむなく被控訴人を除いた見習社員を引率して東海金属に赴き、同社の担当者に見習社員一名が未到着なる旨を告げ、見学開始を遅らせてくれるように依頼し、被控訴人が到着した後に所定の見学を行つたことが認められ、右認定に反する被控訴人本人尋問の結果は単なる推測の域を出ず、たやすく措信できないし、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。

四、以上認定したところによれば、控訴人主張の解雇理由のうちで被控訴人の責任を問いうる事実は昭和四二年四月七日の古河三水会主催の朝日生命ホールにおける歓迎会と同年六月二九日の東海金属株式会社本社工場見学における二回の遅刻だけである。ところで、<証拠>によれば、控訴人が被控訴人の不適格事由として、最も重視したのは解雇理由のうちレポート提出拒否の点であつて、その他の理由は附随的に掲げたものであることが窺われ、しかも<証拠>によると、見習社員の選考担当者である人事部長、人事課長及び人事係長が被控訴人を解雇すべき旨を決定したのは正に右六月二九日の右三者の協議に基くものであるが、右協議の際は同日の遅刻の事実は右三者には報告されていなかつたことを認めうるから、右遅刻はいわば被控訴人の解雇理由の補強として付け加えたものというべきである。仮に正式の解雇決定は見習期間経過の際であるから、その時期までの事由を解雇理由として挙げることは何等支障がないとしても、遅刻は僅か二回であり、被控訴人が平素遅刻を重ねたとの疎明はないから、これをもつて被控訴人の不適格性を判断するのは早計のそしりを免れない。その他見習期間中における被控訴人の勤務態度に誠実さを欠くとか、協調性に乏しいとかの事実を認めるに足りる何等の疎明もない。然らば控訴人の被控訴人に対する本件解雇は正当な理由がないのになされたものであり、契約の信義則に反するものであつて、権利の乱用として無効であるから、被控訴人と控訴人との間の昭和四二年四月一日付雇傭契約は継続していることは明かである。なお前記二において引用した原判決理由二の2の雇傭契約の性質について判断したところからして、控訴人は被控訴人を正社員たる資質を有しないものとして解雇することが許されない以上、これを正社員に昇任する義務があるものと解されるから、控訴人は見習期間が経過した昭和四二年一〇月一日をもつて被控訴人を正社員とする旨の発令をなすべきものである。

しかして<証拠>によれば、被控訴人は他に特段の資産を有せず、労働者として会社から受領する賃金をもつて生計を維持していたが、本件解雇によつてその途をとざされ、それ以来カンパによる資金等で生活しているものであることが認められ、本案判決の確定を待つていてはその生活に回復し難い損害を被るべきことは明かであり、右認定を覆すに足りる疎明はないから、本件仮処分はその必要性がある。

よつて被控訴人の本件仮処分申請はいずれも理由があるからこれを認容すべく、これと同趣旨の原判決は相当であるから、民事訴訟法第三八四条第一項の規定により本件控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき同法第九五条及び第八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。

(浅賀栄 岡本元夫 田畑常彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例